こだわり・執着
おはようございます。
先日は嬉しいメッセージをくださり、ありがとうございました。
結果的に、私の心情の揺れが分かりやすく伝えられていたようで良かったです。
心情は常に揺れまくりーのトツギーノ
=何事にも一喜一憂してしまいやすく疲れやすい考え方の癖・・・
そんな自分を変えるべく、
小林正観さんという人の本に書いてあった、
<思いを持たない>(思いは重いので捨てる)という考え方を日常生活に取り入れ、少しずつ実践しています。
「こうならなければいけない…」
「こうでなければならない…」
「…すべき」
「こうしたい ああしたい」
...etc
↑ このような"思い"を捨てる&持たない。
いま手元に本がないので一字一句細かくは覚えていませんが、
エアーズロックの話は良い例だったな~と思い出します。
オーストラリアに旅行したとき、
現地の人に対して「この広い土地の真ん中になぜこんな岩があるのか…一体誰がどうやって置いたのか…。」と質問したら、
「神様が置いた」という答えが返ってきた。
理論的に考えたら絶対に納得できない回答だったけれど、なぜか腑に落ちた。
…といった内容だったと私は記憶しています。
正観さんも昔はガチガチの唯物論者だったそうですね。
同じく私も昔は(今でもまだまだ)ガチガチの唯物論者で、
現実に起きる出来事で理論的に説明できないことには納得できず、論理的・理論的に分析して納得できるまで悶々とするようなタイプでしたが、
何年か前からは、
世の中どうしても分からないこと・説明のつかないことが多い、
人間の知能じゃ到底理解できないことがある、
…と感じるようにもなり、
上記のような(本の)考え方で生きていくほうが、ずーっとラクで楽しくて、納得できてしまうんじゃないかと感じるようになってきたのです。
ユダヤの「タルムード」関係の本にも分かりやすい例がたくさん載っています。
いま手元に本がないので一字一句細かくは覚えていませんが、
個人的に一番好きな話は、
青年アダムスが預言者エリジャと一緒に旅をするお話。
エリジャは『これから起きることに「なぜ?」と質問はするな。質問したら俺はおまえの前から姿を消す。」とアダムスに忠告。
道中、
清く正しく生きている者が不遇な目に遭い、
好き勝手やりたい放題している者が笑って過ごしている、
そのことに対してどうしても納得できなかったアダムスは、「なぜ神は不公平なことをするのか」と疑問と不満をつぶやいてしまう。
エリジャが「約束を破ったな。俺はおまえの前から姿を消す。だけどどうしても知りたいようだから一つひとつ説明してやろう。」と、人間の知識では想像のつかなかった内容・結末を細かく教えてくれる。
もう一つ、分かりやすい例を挙げるとすれば、
諸富祥彦さんの本に書いてあった内容で、
いま手元に本がないので一字一句細かくは覚えていませんが、ムカデの話。
これこそ完全に作り話なのですが、
ムカデに対して、
「そんなにたくさん足があるのに、よく器用に動かして歩いてますよね。転んだりしないんですか? 一体どうやって歩いてるんですか?」
…と質問した途端、
ムカデは自分がどうやって歩いているのか理論で考え出すようになり、歩けなくなってしまった・・・。
これなんてのは、
深く考えなければごくごく自然に簡単にできていたことが、考え出すようになった途端うまくできなくなってしまう…という、
おもわず「なるほど~」とつぶやいてしまうな話でした。
世の中を、自分の思い通りにしようとするとしんどい、というか無理。
世の中・人生、思い通りにならない。 → 1つ目の苦悩
それを思い通りにしようとする。 → 2つ目の苦悩
案の定、思い通りにならなかった。 → 3つ目の苦悩
これじゃあ苦悩の連続になってしまう。
だから「世の中・人生は思い通りにならない」と割り切れるならそうしたほうが、自分が得。
世の中には次の5パターンくらいのタイプの人がいると思う。
人生は、
A.努力次第ですべてのことが思い通りになる。
B.思い通りにならないことも少しある。
C.思い通りになることと、思い通りにならないことが、フィフティフィフティ。
D.思い通りにならないことのほうが多い。
E.基本的に思い通りになることは一つもない。
私の場合、
昔はA・B・Cのあたりをうろうろしていた。
今はDとEあたりかな。
「それは努力が足りないからだ」と感じた人はバンバン努力すればいい。
私自身が昔そういうタイプだったからその気持ちもよく分かる。
だからそれを否定しない。
ただ、今の自分は、努力が嫌いとか、成功者に嫉妬しているとか、そういう低い次元の話じゃなくて、
良い意味で、もうどうでもいいんじゃないか…と、
自分の努力だけで達成できることが果たしてどれだけあるのかな…と、
そう疑問に思うようになったから、
前に『開き直ったらラクやで』と助言してくれた人がいましたが、
そういうことなんだなって。
「"思い"を持たない=思い通りにならなくてもいい」という考え方・生き方は素晴らしい!
ただ、正観さんの本は簡単に読めるけど奥が深くて、
ネットで調べてブログなど色々と読んでる限りではちょっと間違えて捉えてしまってるんじゃないかな、と思える人もいたり・・・。
当人は意識せず、文章の語尾なんかをカットしてたりしますが、「いや、そこをカットしたら意味合いが変わってきてしまう…」と、歯がゆくなるときがあります。
私もはじめて読んだときと何度目かの読み返しのときで、捉え方が変わって、「あ…これにはこういう意味が含まれてたのか!」と気づくときがあります。
そして今でもまだ間違って捉えているところがあるかもしれませんし、
上でえらそうなこと言ってますけど、私のほうが間違えてる可能性もあります。
私もまだまだ分かっていない部分が多いはずです。
正観さん関連の話でまだ出回っていない(と思うたぶん)話があるので、興味おありの方がいらっしゃったらいつか文章にするかも…。
とにかく、
「"思い"を強く持ち続けてしまう」=「こだわり・執着」というものは人を苦しめる。
よく聞く話では、
他人という存在は自分自身を映し出す鏡(かがみ)で、
自分のエゴが投影されて、
自分のエゴ=我(が)を見せつけられる。
自分の「が」を捨て去ることができれば、
「かがみ」から「が」が消えて、「かみ(神)」になる。
・・・って、
これ誰が最初に考えたのか知りませんけど、上手に考えたなぁと感心しました。