※何回か前の続き
本にしても映画にしてもゲームにしても、何に関しても、
語り出すとキリがないのであえてあまり語らないようにしている、普段から。
一方的にバァーってしゃべりすぎるのもうっとうしいでしょ。
(この記事 めっちゃ語っている)
下書きの段階で文字数が約7000文字をオーバーすることもあった。
(この記事 文字数は約6700文字)
相手が「聞きたい」「読みたい」と言う場合は別として、そうじゃないなら無理に公開する必要もない。
(読んでほしいくせに このツンデレが)
ブログの場合は現実世界と違って、表情・仕草が見えないから文章で表現するしかなく、どうしても長くなってしまう。
(言い訳してんじゃねぇよ)
この気持ち、分かってもらえるかな?
・・・そうか、分かってくれるか。ありがとう!
(誰も答えてねぇよ)
よし。
ひとりツッコミ文章はこのへんで終わるとして、そろそろ本題に入ろうか。
ついつい熱く語ってしまうときがある。
語りまくってるうちに自分が…
朝礼の時の校長先生みたいになってたら最悪だからそれだけは避けたい。
あれはとんでもないぞ!
あんな自己満足全開垂れ流し長話ほどみじめなものはないわ。
当時の校長もひどかったなぁ。
子供たちがどんどん倒れていってるのに・・・。
「この人いつまでしゃべるんだろう」と思っていた。
校長のカラダのどこかにSTOPボタンが付いてるなら押したいくらいだ。
子供たちのことが可愛くないのか?!
おい、校長よ。アンタの目的は一体何なんだ?
どれだけ話を長引かせるつもりだ。
ま、まさか…。
犯人から身代金要求の電話がかかってきたから話を引っ張っているのか?
誰か誘拐されたのか?
そうとしか思えないくらい長かった。
時間でいえば長くてもせいぜい30分くらいだったのかもしれないけど、すごく長くて拷問刑のように感じた。
なんで朝の出だしからあんな苦痛を味わわされなければならないのか。
そんなだるい状態で1日をスタートしなきゃいけない子供達の気持ちにもなれよ・・・。
モチベーションが上がらんわ。
しかも、当時しゃべってた内容なんてこれっぽっちも覚えてないからな。
要するに、話の中身がなかったんだよな。
校長先生との駆け引き -
ある種、我慢比べのようなところがあった。
「俺は倒れねぇーぞ! 俺を倒れさせたら大したもんっすよ! by長州力」
自戒しないと、ああなってしまう・・・いや、もう既にああなっているのか?!
ああはなりたくない!
まさか、自分自身を見せつけられているのか!?(投影の法則)
人は他人に対して腹が立ったとき、それは自分自身を見ているのかもしれない。
話が長い校長先生たちを反面教師とし、
ブログサブタイトル「沈黙は金」を日頃から思い出すようにして、語るのをかなり抑えていこう。
それくらいの気持ちでいても、こんな長文になってんだからさ。
俺が本気を出して語り出したら、誰か俺をとめられるか?
クリスティアーノ・ロナウドでもとめられないだろう。
とめられるならとめてくれよ。
ピサロさまを、とめて! by ロザリー
ちなみに、
世の中の理不尽なことなどに対する不平不満、批評、愚痴、そして人の悪口などは、
語り出すとキリがないというだけでなく、ネガティブな内容だし、
場合によっては自分の歪んだ正義感で他者を裁いてしまうこともある。そんなことをすると、
最終的に自分が損をすると分かっているから、
<自分が投げかけたものは自分に返る (=因果の法則)>
人を裁けば、自分が裁かれる。
他人を観察しているとよくわかる。
ネット上の書き込み、テレビのコメンテーター、作家、政治家 ...などなど。
「中傷するな!」「差別するな!」みたいな発言をしている人物自身が、
誰よりもすぐ感情的になって、誰よりも終始攻撃的な態度だったりする。
端から見ているとおもしろいくらいすべて当人に当てはまっている。
しかし、本人たちはそれにまったく気づいていない。気づこうともしていない。
そして最後にはブーメランが返ってきていたりする。
それでもまだ気づかずキレ続けている人もいる。
しかも、そのほとんどがもういい歳をした大人達だ。
そういうのを見ていると「かっこ悪いなぁ」と思うけれど、
誰しも、自分のこととなると途端に見えなくなるのがこわいところ。
ウソみたいだけど、本当に見えなかったりする。
だからそういうたぐいのことを、私は普段から基本的にしゃべらないようにしている。
・・・と言ってはいるが、
上記の文章を改めてご覧ください。
私は完全に、
"全国の話が長い校長先生"
と
"自分のことを棚上げして他者を批判している人"
のことを批判しております。
ほら、自分のことは見えてないでしょ?
こういうことなんです。
事実、これも一種のバッシングですからね。
こういうことがあるから「自分は大丈夫だよ、あはは!」と油断しないよう気をつけている。
ではどうすればいいか。
普段から「自分は他者を裁く癖があるかもしれない」と、せめて最低でもそう自覚だけはするように気をつける。それが大事。
ブログの記事、
なんやかんや打ち込んでいるうちに投稿するのがどうでもよくなってきて投稿しないまま終わることもある。
もし下書き段階で満足してお蔵入りになったとしても、それはそれでいいんです。
いいんです! by 川平慈英
時間の無駄とは思わない。
なぜなら、ストレス発散の方法としてよく言われる「紙に書き出す」という立派なストレス解消法だから。
手書きもいいし、パソコンの「メモ帳」でもいい。
自分の考えが整理できるのでオススメしよう。
ただ、悪口を書くことはオススメしないし、もし書いた場合はすぐにやぶいて捨てた方がいい。
それはなぜか…。
過去にそのようなメモ帳を落として他人に見られてドン引きされてる人がいた。
私もその話を聞いたとき、
「え~!あの穏やかな人が社員の悪口をメモ帳に書き殴っていただとぉー!?」と、マジで驚いた。
『ダイの大冒険』で、ダイが"鎧の魔剣"を使って伝説の剣=真魔剛竜剣を真っ二つに折った事実を知ったときのロンベルクと同じくらい驚いた。
真魔剛竜剣だとぉっ…!!! by ロンベルク
上記の話、
直接本人に確認したわけではないからその人の考えは今でもわからないままだが、
その人の名誉のために私が憶測で弁護するとするならば、
きっとその人は日頃知らず知らずのうちに誰かの悪口を言ってしまわないため&争いを事前に防ぐために、
普段たまっている鬱憤をあらかじめメモ帳に書いて感情をコントロールしていたのかもしれない。
が、結果的にバレてしまって軽蔑され、フツーに人の悪口を言ってるのと変わらない状況になってしまっていた。
みなさんはそうならないように気をつけてほしい。
私はよく話がそれる。
いつも私の話についてきてくれてありがとう、感謝してる。
(話に"ついてくる"の漢字は、"付いてくる"なのか"着いてくる"なのかいまだによくわかっていない。)
そうなのよ、
私の場合は文章内容に一貫性がなかったり、起承転結がなかったりするから、
常識的な文章や型にはまった文章が好きな人にとっては、私の文章は読んでて嫌になるかもしれない。
できるだけ書いた文章をすぐ公開せず下書きのまま置いて修正を加えてから公開するように心がけているのは、そういう理由があるからなんだ。
でもそれでも結局、話があっちこっちに飛ぶ。
常にバシルーラを唱えるヘルコンドルみたいな奴なんだよ、私は…。
昔、ドラクエの4コマ漫画劇場で「ヘルコンドル咳こんどる」ってシャレあったな。
話が飛んだときは、私がバシルーラを唱えていると思ってほしい。
あ、そうそう。
先日、池上彰さんの「伝える力」(PHPビジネス新書)を久しぶりに引っ張り出してきて読み返した。
ここでレビューを書くまでもないほど売れたベストセラー(2007年出版)で、
書かれてあることを実践できたらきっと文章を書くのが上手になる、そんな良書だ。
だから良い点はあえて書かなくてもいいだろう。
ただ、私はその本を読んで、そういう良いところだけじゃなくて悪いところも気になってしまった。
本の中で池上さんが、
「読むに堪えない文章のブログが多い」
「こんな文章はダメだ」
「この接続詞を使うのは控えよう」
「こういう文章は小学生が書いたような内容だ」
…みたいな感じで例をいくつか出してたけれど、
私としては、
「言ってることは正しいし、それはよく分かる。
それが文章を書いたりしゃべったりしてお金を儲けているプロの場合はなおさら、そういうことをきっちりマスターして情報を発信してほしい。
だけど、一般人が趣味で書いてる文章に対してそんなにあれやこれや言ってると、なんだかあら探しのようで、読まれるほうも読むほうもつらくなるんじゃないか? 楽しくないんじゃない? 息苦しくない?
文章を書いている本人がそれでいいと思って楽しんでいるのならば放っておいてあげたらどうだろう?
それに、下書き段階で何度も文章を書き直しているうちに、文章の前後が変になったり、接続詞の使い方がおかしくなっていることに気づかず公開してしまうことだってある。そこをツッコムのはいかがなものか。」
…という感想を持った。
それと同時に、
「あ~、もしかしたら自分の記事も誰かにあら探しされて『読みづらい』『つまらん』『やめちまえ』『クソ』だとか思われてんのかな~、言われてんだろな~。」とふと考えて、
本を開きつつ、自分のブログ記事を思いおこしていたら、
自分の文章のいたらなさ、読みづらさ、誤字脱字、癖、などが気になってきて、
なんだか自分で自分のあら探しをしているかのように自分を厳しく責めてしまい、億劫な気分になった。
そうならないために、普段から下書きの段階でとめて何度か読み返したりチェックしたりしているけれど、
そういう下書き対策にしてもデメリットがあって、
「ここがおかしいな」「この文章も付け加えたいな」などと気になり出してキリがなく、いつまで経っても公開できなくなるんだ。
そんなことしてたら、もうなんだか何のためにブログやってるのか、自分は文章打ってて本当に楽しいのか、これは何かの罰なのか、などと感じてしまう。
(私は一度公開した記事を後で修正しまくるのは個人的に好きじゃない)
なぜタダの遊びでここまで考えなきゃならないんだ?
誤解のないように言っておくが、池上彰さんを悪く言う気はない。むしろ好きだ。
だから「伝える力」は"2"も買って持ってる。
だけど、そんな風に違和感を覚えた箇所もいくつかあった。
…また批評をしてしまった。
みなさん、マジでこんな私に投石してくれていいよ。
ただし条件がひとつ。
「罪を犯したことのない人」オンリーね。
普段からよく考える癖がある。
今回も考えすぎた。
これ以上考えすぎると頭からプシュ~と煙が出る魔人ブウになってしまう。
本を読みすぎてバカになってしまったかもしれん。
本を読むのもいいけれど、
書を捨てよ町へ出よう by 寺山修司
たまにはボケーっとしてヨダレたらしながら寝るのもいいな。
あのさ~、
話、また戻していいかな。
さっきの文章の話。
文章が短ければ短いで「しっかり書かないとダメだ」となって、
文章が長ければ長いで「ダラダラ書かずにまとめろ」となって、
ちゃんと書いたら書いたで「他にも似たような記事があって代わり映えがしないし個性がない」となって、
結局どうやってもあら探しする人はするんじゃないかな?そう思わない?
究極のことを言っていい?
要は、
読む側が、文章を書いた人のことをどう思っているか、どういう印象を持っているかに尽きると思う。
文章を書いた人のことを読む側が好意的に想っているのなら、
どんなに短い文章だろうが、
どんなに長い文章だろうが、
どんなに読みにくい文章だろうが、
「この人すごく一生懸命書いてる。わたし、この人のこと好きかも///」となり、
Love is O.K. by 城島茂
逆のパターンだったら、
どんな完璧な文章でも、
「こいつ、鼻につくな。
マジで気に入らん。
自分のこと偉いと思ってんだろ。
ナルシストか?
生意気だな。
これ以上しゃしゃり出てくるな!」
…ってなるやん。
そういうことじゃないの?
ほら、ほうよ。 by 岡田彰布
だったら、もう何も気にしてても仕方ない。好きに書いたらええやん。
差別とか中傷とかそんな内容じゃなかったら、なんでもええねん。
それでええねん by ウルフルズ
この前の記事で話題に出したブロガーさん、覚えてるかな?
その人、こんなことも書いてた。
「○○ブログは中身のない記事が多い。
それに比べて、はてなブログは内容の濃い記事が多い!」
・
・
・
うん、確かにそうかもしれない。
有名人だったら「うぃーっす」と一言書いただけでもアクセス数が伸びる。
どう考えても内容が薄っぺらい。
逆に、無名な人がすごく良い内容を書いていても、アクセス数が伸びていないのを何度も見かける。「なぜこのブログへのアクセス数が少ないんだ?」って思う。
ということで、その人が言ってることは正しい。
私も同じ意見。
だけどそれと同時に、別にそれでもいいんじゃないかな?…とも思う。
そういうのも全部含めてそれでいいんじゃないかな。
だってそんなんで文句言ってたらなんか嫉妬みたいだし、
文句言ってても何も変わらんし、
なるようになる・なるようにしかならん。
それぞれが好きなようにやればいいさ。
だって、はてなブログって、別にテキトーに書いてもいいんだよね?
確かに、しっかり書かれてる完璧な記事は素晴らしい。それは間違いない。
yahooの記事を読んでいたら、たまに何が言いたいのかわからない記事がある。
どう考えても、書いてる人はプロじゃない。
ああいうのを見てしまうと、だみだこりゃ!ってなるし、
しっかり書かれてる記事を欲してしまう。
でもやっぱり、そういうのを含めていろいろあっていいと思うわ。
完璧な記事のブログをやっている人は多いわけだから、
私の場合はわざわざ無理してそこを目指そうとも思わない。
そういう人たちと張り合おう渡り合おうとは思わない。
どれだけ頑張っても、勝てない人はたくさんいる。
世の中には頭の良い人が多いから完璧な記事とやらはその人たちに任せたい。
もちろん、そういうのを目指したい人はそっちのほうを頑張ってほしい。
そういうブログも良いなぁと思う一方、
私はそれとは逆の、
たまに読みたくなるような、サッと軽く流し読みできる中身のないブログ記事を、気軽な気持ちで書きたい。
そういうものにわたしはなりたい by 宮沢賢治
最後の最後にもう一度この記事を全文読み返してみたら、
この記事(私)が完全に”話の長い校長先生”と化してしまっている…。
自分が嫌いな人間と同じ性質が自分の中にもあるという、
【投影の法則】を自ら証明してしまったことになる。
これは痛い、痛すぎる…。
記事の途中にも書いたけれど、
1,他者を批判・論評してしまっているという事実
2,嫌な人と同じ性質のものが自分の中にもある
3,裁けば裁かれる
それらをせめて自覚するよう気をつける。
今回は勉強になった。
自分は常に世の中のたくさんの人から学ばせてもらっている、感謝だ。
また一つ進化した。
この記事にはスピリチュアルなメッセージがふんだんに詰め込まれている。
総合的に見て判断すると、我ながらなかなかの良記事ではないかと思う。
今回は「ブックマーク」怒濤のラッシュ、あるで!
あると思います! by 木村 (天津)
でも人生って、期待しすぎると肩すかし&しっぺ返しが来るんだよね。
気をつけなはれや! by チャンカワイ (Wエンジン)
そして、もし閲覧者が「いや、この記事はダメだ!」とおっしゃるならば、
レッドカード(レッドスター)を大量に付けてもらってもかまわない。
確かにそれはつらいことだが、そのお仕置きは甘んじて受けいれよう。
さぁ、レッドカード(レッドスター)を…はやく!
カモーン! by 大坂なおみ
…だけどいつまで待っても全然レッドスターが付かなかったら、
【期待して待ち続けているのになかなかノーベル文学賞を取れない村上春樹さん】
の気持ちがほんの少し理解できると思ふ…。
それもまた学びだ。
そうだ、そうなんだ。
そうなんだ きっとそこから愛なんだ by V6