沈黙と受容と感謝

沈黙と受容と感謝

特命和太郎のブログ

陰徳

医療従事者の方々へ感謝の気持ちを込めてブルーライトアップ(ブルーライト点灯)

…という話を、この頃あちこちでよく見かけるようになった。

なんだか違和感がある。

個人のお金(自費で)やる分にはイイと思う。

あと(どういう効果があるのか私が分かっていないだけで)、実際それをやることによって寄付金が集まったりして医療従事者に喜ばれているのならば素晴らしいことだと思う。

ただ、
もしそれがただのライトアップでしかなかったり、
それに多額の税金を使ってやっているのならば、
「私は良いことしてますよ~」という目立ちたい自己満足な行為にしか見えないから、
そんなことにお金を使わずに、
それにかかってる何十万円なのか何百万円なのか知らないけど、
その費用・資金を医療従事者のみなさんへ"現金"の状態で直接還元したほうが喜ばれないかな?と、

…私はそう感じてしまった。

- - -

私が実践していることは何かと言うと、
2月中旬頃から既に自粛モードに入って、
手洗い・うがい・消毒・マスク着用はもちろんのこと、
旅行にしろ外食にしろ、娯楽関連で外出することは基本的にせず、
室内では、咳・クシャミをするときは手で口をおさえ、そのあとすぐ石けんで洗う。
そういうのをずーっと徹底してやってきているから、
これは自分のためだけでなく、
周りの人たちのため、
医療従事者のみなさんのため、
日本国のため、
ものすごく小さい"間接的な行為"であっても、必ず人の役に立っている行為だと自負している。
もし世の中のほとんどの人が早い段階からこういうことを実践していたら、
2020年6月くらいにはもう新型コロナウイルスは収束していたかもしれない・・・あくまで"かもしれない"だけど。
仮にそうなっていたら、医療従事者の人たちも飲食店の人たちもここまで苦しまなくて済んだだろうな。

ここ数ヶ月の社会の状況を見ていたら、"急がば回れ"の反対をやっているようにしか見えない。

ブルーライトアップのようなそんな大きなことをわざわざしなくても、
誰にも見てもらえなくても、
誰からも評価されなくても、
何かご褒美を貰えるわけでなくても、
私が書いたような小さなことを一人ひとりが日頃からきちんとしていれば、
それが結果的に人の役に立って、
それをお天道様(宇宙の法則)も見てくださっているはず。

それが"陰徳"ではなかろうか。

- - -

「陰徳」ついでにもう一つ話を…。

ネットやテレビのニュースで、
人命救助や幼児保護などをした人が表彰されて感謝状をもらった…
という報道を見るたび、
良い話なんだけど、少しだけ複雑な気分になる。

なぜなら、私も倒れている人を助けたことがあるけれど表彰などされたことがないからだ。

私が特殊なケースなのかな・・・と思ってちょっと調べていると、
なんと、同じ経験をしている人が意外と多くてビックリ!

そういうニュース記事のコメント欄などを調べていたら、

「私も同じように倒れている人を助けたけれど感謝状はまだ貰えていません」

「みんな見て見ぬ振りしているから私が助けたけれど何のお礼も言われていない」

「血を流している人が倒れていたから介抱したら、『あなたが轢いたのか』と疑われた。」

「迷子のお子さんを助けようとしたら、誘拐犯(変質者)とレッテルを貼られた。」

「倒れていた人を助けたけれど表彰どころか感謝の連絡も一切なかった」

「通学途中に人を助けて遅刻をしたら『遅れるな』と先生から怒られた」

「倒れている人がいたから警察を呼んで対応してもらったけれど、何のお礼もなかった。」

「犯人逮捕に協力したけれど、何も表彰されませんでした。」

「子供が倒れていたので救急車を呼んで助けたのに、『邪魔だからどいて』と言われた。」

・・・みたいな書き込みをチラホラ目撃した。
 (記憶を思い出して書いているから一字一句同じではない)

その人たちもきっとそうだと思うし、私もそうなんだけど、
別に感謝状が欲しくてやったわけではなくて、
当たり前のことをとっさにやっただけだからそれで良いんだ。納得はしている。

だけど、
大事な用事が入ってるときに時間のことを忘れ、
しかも親切の押し売りのようなただのお節介行為などではなく、
人の命を必死に助けたのにもかかわらず、
感謝状やお礼が一切なかったり、
上記のように、最悪な場合だと助けた側が加害者みたいに思われたら、
そりゃあ、たまったもんじゃないよな。

しかも、
単純な疑問として、
感謝状を…
貰える人(パターン)と、
貰えない人(パターン)の境界線が良く分からない。

貰えない(貰えなかった)という事実自体はまったく問題はないけれど、
貰える(貰えた)人がいるのにも関わらず、
自分は貰えなかったとなると、なんだかなぁ~となるのはごく自然な感情。
最初に書いたように、目立つためにやっているわけではなく、アピールしたいわけでもないんだけど、
・・・そうではないんだけど・・・そうではないんだけど・・・なんだよね。
ここがポイント。

勘違いしないで欲しいのは、
表彰された人たちをディスっているわけではない。
善行をした人は素晴らしいから称賛されていい。

ただ、それと同時にその裏ではたくさん人がその当たり前のことを感謝状もお礼もなしで自然とフツーにやっていたりするということ。
ニュースになっている人も「ヒーロー」「英雄」だけど、
見えていないところにもたくさんのエンジェルがいるのだ。

そういえば何年か前、
斎藤佑樹投手が人助けしたとき、
テレビ番組で江原啓之さんが「やって当たり前のこと」と発言し、少しバッシングされてたな。
江原さんは決して斎藤さんのことを悪く言ってるのではなく、
むしろ称賛した上で、
「他の人も陰でやってることだからニュースにするほどのことではない」ということを言いたかったんじゃないかな…知らんけど。

私が今回言ってるのもそれと似たような感じで、
「良いことなんだけど、やって当たり前のことしたのに表彰されて神格化されたりするとそれはちょっと違うんじゃないかな?」ってこと。
でも表面上だけ見たらただの嫉妬や悪口にしか見えないよね。
もうやめとこう。

ちなみに、私の場合は後で救急隊員の人から「ありがとうございました」と電話があった。
形には残っていないけれど、思い出となって心に刻み込まれたから充分嬉しい。

こういう話をあまり細かくしゃべっちゃうと「陰徳」ではなくなるからもう二度としないつもり。

ということで、表彰や感謝をされなくて悔しい人の気持ちは良く分かる。

人に見られなくても、
人からも評価されなくても、
何もご褒美を貰えなくても、
それが宇宙の視点から見て立派なことだったら、
もうそれで徳を積んだことになるから上出来だし、
それに見合った物事が自分に返ってくる。
今の自分にできることをやっていこう。