沈黙と受容と感謝

沈黙と受容と感謝

特命和太郎のブログ

今回学んだこと

正しいからといってどんな言動をしても良いわけではない


たとえそれが"正しい言い分"だとしても、
それを…

"相手をねじ伏せるために"
必要以上に長々と正論を振りかざして(理屈っぽく)話し続ける(説教をする)行為
ネットの掲示板やメールの場合は様々な言葉を羅列した長文を書き殴る行為
 ※その発言者がそれを自覚しているか自覚していないかは関係なく

それ(相手を裁く行為)をすることにより…
された側(相手)は疲弊し、嫌な気分になり、正しいことでも聞き入れたくなくなる。

 言ってる内容が正しいとしても、糾弾・論評している時点で不正義。 by 小林正観

さらにひどい場合だとそれにくわえて、
感情的に(キレて)ワーワーギャーギャーわめいたり
上から目線の高圧的な態度でマウントを取って(マウンティング)満足していたり
明らかに誹謗中傷の域にまで達するほど叱責したり
関係のないことまで持ち出して無理矢理結びつけて罵ったり
発言者の思い込みで何の根拠もない(根も葉もない)ことを決めつけにかかってきたり
自分が正しいと思い込んで他者の意見を全然聞き入れようとしなかったり

…そうなってくるともうその人は一体何がしたいのかわけがわからなくなってくる。

最終的に、発言者は嫌われ、発言者のまわりから人が離れていく。


- - -
さて。
ではそのケース、
自分が当事者の立場だったら、一体どういう言動をとればいいか。

(1)
攻撃的にならない
怒らない
競わない
比べない
争わない
恨まない
憎まない
呪わない

(言う側言われている側問わず)

まず間違った上に怒ったりしちゃうと"逆ギレ"や"逆恨み"にもつながってくるから論外。

正しい場合でも、糾弾・論評・攻撃する行為自体が不正義だとしたら、
悔しいかも知れないが、そこはグッとこらえたほうがいい。

言われる側の立場のときは反論しないことで、もしかしたら間違った情報が流されて誤解されたり、事実が歪曲されたりするかもしれないが、
そんな事実無根の情報を流したりレッテルを貼ったりするような人たち&それらをすぐ鵜呑みにしちゃうような人たちは結局その程度の人たちなのだから、
そんな人たちのために、わざわざ無理をしてこちらの時間と労力を割いてまで真実を理解してもらおうとする必要はない。
疑いたい人は疑っておいてくれていいのではなかろうか。
見る人は見ている。

そのとき、"我慢する"と考えるとストレスがたまるから、
そうではなく、
自分のことが好きなのだったら、
自分の"品"や"徳"を下げないために=自分の"品"や"徳"をレベルアップさせるために、
要するに<自分のために>耐えよう。
スピ系が好きな人だったら、自分が過去に蒔いてしまった悪い種を刈り取ったと考えるのが良いかも。

(2)
言い返さず現実を受け容れる

間違っていることや理不尽なことを称賛するという意味での"受け容れる"ではなく、
起きた現実・事実をあるがままありのまま受け容れるということ。

ただ、
私の場合、
ここまでなら今までとだいたい同じだから、
今回はもうちょっと踏み込んでみた。

この宇宙全体には絶対的な法則があって、それが…
○カルマの法則(因果の法則/作用反作用の法則)
○波長の法則(投影の法則/鏡の法則
 と言われているから、
その観点で捉えた場合、
今回そういう場面に巡り合ってしまったということは、
その嫌なことをする相手(発言者)と同等のものが自分の中にもあるということ。

「いや、さすがにそれはない!」


何かが起きたとき、大抵の人はそう考えると思う。
私もこれまではそう考えていたし、
今でも「さすがにこれはないわ。自分はここまでひどい人間ではない。」と思うことも割と多くある。
だけど、実際問題そういうことが目の前で起きたということは、それが間違いなく自分の中にもあるはず。
認めたくはないけれど、宇宙の法則が絶対的であるならば、
自分が目にした耳にした巡り合ったすべてのこと…もちろん自分が嫌だなぁと感じたことも含めて、
それらが必ず自分に関係のあることなのだという視点を持つことは大切。


「息の臭きは主知らず」=自分の欠点は自分では気がつかないということ。


今回のケースだと、
A:私の中に相手をねじ伏せるために正論を振りかざして(理屈っぽく)話し続ける癖がある
B:そういうものにすぐ負けて挫けてしまう欠点が私にある
C:過去世(過去生)も含めて自分が過去に誰かに対してそのようなことをした
…のどれかということになる。


A:
座右の銘のひとつ「沈黙は金」を実践していて普段はあまりしゃべらないようにはしているし、
ネットの掲示板やSNSに関しても、現時点でこのブログとYouTubeのチャット&コメント以外は基本的に利用していないけれど、

「自分の中には絶対にない」という考えを一旦横に置いて考えるとしたら…

…これは最悪な性格で完全に嫌われるタイプだから、余計なこと(特に批判など)はしないほうがいい。


なぜなら今回、上記の事柄に該当する人物の言動を見ていて、
 「うわぁ…この人物は一体何なんだ…。
   人が気分を害するようなことを平気でしている。
   ものすごく自分の正義を振りかざしている。
   しかもなにか勘違いしている。さらにそれを正当化している。
   自分のしていることに気がついていないのかな?
   これ、やってることは悪質クレーマーと変わらないな。」
  …と、心の底から感じ、
 それを目の当たりにして『こうはなりたくない』と強く思ったから。

かなり昔、私がまだネットの掲示板を少し利用していたとき、
中傷している人たちに対して「中傷するな!」と怒っている人の書き込みを見かけた。
しかし、その人は、
『中傷している底辺のクズどもは死ね』(ほぼ原文ママ
と書き込みしていて、
それを見た私は「この人は自分のことが完全に見えていないな」と心の中で思った。
そのセリフはインパクトが強かったので覚えている。
ただ、ここで黙っておけばいいものを、私もそのときは未熟だったため、その書き込みに対して、
「それ自体が中傷では?」と一言余計なことを書き込んでしまったのだ。
そうするとどうだろう。
今度は私に対して、
『おまえは中傷している奴を擁護するのか!』というワケのわからない難癖をつけてきて、
 (こちらは中傷の書き込みを擁護などしていない)
そのあとネット上をストーキングされ、
(こちらはHNを統一していたから面倒なことになったのだ)
最後に、
『こいつはこんなくだらない書き込みばかりしているのか!ヒマな奴だな!』と暴言を吐かれた。
これを見てお分かりのとおり、
結局、その人の言ってる事はすべてその人自身に当てはまっていたりする。
中傷しているのも、くだらない書き込みとやらをしているのも、ヒマなことをしているのも、全部その人自身なのだ。
これぞまさしく"投影"である。
自分のことが全然見えていない。かっこ悪すぎる。
だけどそれに腹を立てたらそれもまた同じ穴の狢。
私もそのときは反応して書き込んでしまったので"類友"(類は友を呼ぶ)だったのだ…反省。

結論としては、
世の中の人間ほぼすべて例外なく自分自身のことは見えていないということ。

人間という生き物は、
 他人の欠点は良く見えるのに、自分の欠点はほとんど(もしくはまったく)見えない。 by キリスト

だけど落ち込むことはない。
そのことを自覚できた人や改めることができる人は成長していける。

江原啓之さんがまだ個別でカウンセリングをしていたころ、
「私はこんなひどいことをされているんです!苦労しているんです!助けてください!」と相談してきた人自身がまさしくトラブルメーカーだったりすることもかなり多い・・・というようなことをとある本に書かれていた。
これなんかはものすごく分かりやすい例だと思う。
お笑いみたいな話だけど、
冷静に考えるとあながち珍しいことではないかもしれない。他人事ではない。

Bは省略。

C:
カルマや波長の観点から考えると、
自分の中にもそういう性質があったり、
自分もそうやって過去に他者を不愉快な目に遭わせてしまっていたか、
あるいは、
自分の日頃の言動を省みず何も考えず生きていたら将来いつか誰かに対してそういうことをしてしまう可能性があった、
 …という風に考えられる。
これは反省だな。
そして今回そのことに気づけて&カルマが解消されて良かった。
このように学んでいって自分の人生に活かすことを心がけていけば、
表面上だけ見て嫌だなぁと感じてしまうような出来事でも、ものすごくラッキーな出来事にシフトできる。

ということで今回学んだこととして、
(3)
その相手を反面教師として自分はそういうことをしないと決意。
これでまた一歩、精神面を向上させることができた。

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今回、(1)(2)(3)と冷静に対処できたのは自分にとって大きな収穫だった。

それと、過去の記事にもたびたび書いていたように、
「論評はしないほうがいい」というのはこういうことかもしれないなぁと気づいた。

何事も、
自分が経験して始めて理解できる。
自分が経験しないことは理解できない。(理解できたと思っていてもそれは知識の段階)

ここで、「そうだ!そうだ!理解していない奴は知恵がない!」などと言って人を裁こうものなら、
それ自体がまさしく・・・ということ。

結局、投げかけたものが返るわけだから、悪い種を蒔くと自分がしんどくなる(自滅する)。
気をつけたほうがいい。

小林正観さんの『論評ってこわいんですよ』という言葉を思い出す…。
正観さんの言葉(本)って、
読み手の経験値がレベルUPすればするほど、本を読んでいて心に響く(しっくりくる)言葉が増えてくるような気がする。
自分がレベルアップしたらしただけ、本を読む楽しさもそれに比例して上がってくるからワクワクする。

これから「論評」に関してはなお一層気を配ることとしよう。


このごろ、
自分が誤解されているときでも「なんかもういいや」となってほとんど言い返さなくなったから、
まぁまぁ実践できているほうではあると思う。


 罪が無いのに誤解されたり罵られたり嫌がらせをされても、それをじっと堪え忍べる、忍耐のある人は賢者だ。 by ブッダ


自分が間違えていないと断言できるならば…
いや、もう間違えているとか間違えていないとか問題以前に、
ぜ~んぶ安心してお天道様に委ねておけば最終的に帳尻が合うようになっているような気がする。
必死に努力をして、他人をさげすんで、自分が偉い気になるよりも、
できるだけ論評せず、感謝をして過ごして、
神様を味方につけるほうが圧倒的にラクで自分が得だと考えられるように少しはなってきた。

ちなみに、ここで言う「神様」というのは分かってもらいやすく表現しただけで、
私の言う「神様」とは、宗教の神様でもなければ、人格を持っているキャラクターでもない。
宗教のように特定の人を神格化して「私は神様です」みたいな雰囲気のうさんくさい次元のものではなく、
もっと崇高な存在(宇宙の法則自体)を指している。

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この記事内容は現時点の私のやり方であって、
各々が自分に合ったやり方で対処してほしい。すべてが自由だから。

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[用語]
○理屈っぽいとは…
感情を考慮せず、正論を述べて物事を判断し、説明できないものを間違いだと決めつけてしまうこと、またはそういう人。
必要以上に理屈を並べる人を指す場合もある。
知識が豊富、賢い、しゃべりがうまい等と言われて称賛されることもある一方、疎ましいと思われるケースも少なくない。


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記事を書いている途中、書き終わってから、何度か読み返した。
内容がもしかしたらなんだか理屈っぽいかなぁ、
ちょっと不完全かなぁ、
とか考え出したら途中から文章まとめるのもめちゃくちゃ面倒になってきて、
これも公開するのやめとこうかな…と思ってしまった。

私のブログ閲覧者でこういう系統の記事に興味ある人が少ないなら(需要がないなら)、今後はこのジャンルの投稿は控えるかも。