特命和太郎

特命和太郎

沈黙は金

新型コロナウイルス

<回想>新型コロナウイルス大流行(2020.01~)


                             2021.01

今年に入ってからこの約1年間振り返って少しずつ書いていた内容

新型コロナウイルスが流行し始めた2020年2月頃
現在ではみんなが当たり前のようにやっているような対策を私自身が既にやり始めていた。
そのような対策を、あの時点でみんながやってていたらどうなっていたかなぁと考えたことがあるという記事は過去に投稿した。
ではなぜあの頃にそれを言わなかったのか。
いま言っても結果論みたいになってしまう。
=あの頃は「ただの風邪だろ」「騒ぎすぎだ」などと言っている人もまだまだたくさんいたのでとてもじゃないけれど言えなかった。
 (今でもまだ新型コロナウイルスを軽く見てそう言っている人が一定数いたりするからなおさら)
仮にあの頃にそう言っていたとしても「大げさなんだよ、バカかおまえは!」と返されるのがオチだっただろう。
今となっては自分の考え方とやり方が100%とは言わないまでもだいたい合っていたということになる…。

先日の話
ニュースを見ていて、ため息が出た。

人それぞれ何かしらの事情があるだろうから
表面上だけ見て個人の考えで安易にジャッジしてはいけないと理解した上で・・・

1,
50~60代くらいの人が、
表面上は「新型コロナウイルスが終息するように神様にお願いしています」と発言していた反面、
行動としてはわざわざ遠出をしてまで神社に参拝していた…。
  (関東から関西へ)

2,
正月は「この時期は控えて」と言われていたのに初詣に出かけている人も大勢いて密になっていた。
これも表面上だけ見たら、目を閉じて手を合わせていて、ものすごく信心深く見えるが…。

3,
どこかの行事では大勢の人が集まって密になって「新型コロナウイルス退散!」みたいなことを大声で叫んでいた。
言ってること自体は素晴らしいが…。

4,
「(新型コロナに)かかるときはかかるから気にしない」と発言している人もいた。
その発言だけ聞けばかなりポジティブでGOOD!
でもそれはあくまで、できる対策をすべてきちんとした上での発言の場合であって、
やることもやらないでそういうセリフを発しているとすれば、それはただのパッパラパー。

この一連の光景を見て、
私はフランケンシュタインの例え話を思い出した。
 フランケンシュタインが女の子を池だか湖かに沈めて殺してしまった。
 なぜそんなことをしたのか。
 フランケンシュタインにとっては「女の子が水を飲みたがっていたから飲ませてあげた(=良いことをした)」らしい。
 本人は良いことをしていると思っているが、実際は逆のことをしていることに気付いていない。
この逸話はどこで読んだのか覚えてないし、意味合いもこれで合っているのかどうかは分からないが、
上記のニュースを見ていて、その例え話がまっ先に思い浮かんだ。

言ってることとやってることがめちゃくちゃで本末転倒…
上っ面はめちゃくちゃ良いことを言っているが行動は正反対
実際そうやって出回ってて
もし誰かに感染させたり 自分が感染したりして ウイルスが広がったら…
結果的にたくさんの人に迷惑がかかってしまう…
「終息しますように」という発言とは逆の結果を招くとは想像できないのか…
そういうのを言行不一致と言うのではないのか
それとも 自分だけ神様に良くしてもらいたいという偽善の心なのか…
わざわざこの時期にそんなことしなくても
日頃ちゃんとした言動をしていたら それだけで充分 神様仏様は見守ってくださるはず
本当に心の底からウイルス流行が終息もしくは収束してほしいのだったら 今はおとなくしておいたほうがいいはず
医療従事者のみなさん 各都道府県知事の方々が
「今は自粛に協力してください」ってお願いしているんだから
なぜ『よし、協力しよう。』と思えないのか…
政治家のことが嫌いでアイツらの言ってることを意地でも聞きたくないからわざと反対のことをしてやりたいと思う人もいるだろうし
自分の嫌いな相手の言うこととあえて反対のことをしたくなる気持ちは分からなくもない
でもそれはあくまで人に迷惑がかからない時期・分野・範囲のことであって
今回は人の命がかかってるわけだから素直に協力したほうが自分のためにもみんなのためにもなる
「自粛は経済を回さないから自粛している人だって他者を苦しめている」と言う人もいるが
ずっと自粛するんだったら確かにそういう捉え方もできるけれど
短期間だけ全員しっかり協力して自粛するのは むしろしばらくすると経済はまたうまく回るはず
今は苦しい時期だとしても"急がば回れ"を実践することが大事なんじゃないか
「この程度の(出回る)ことくらいで文句を言う奴はクズだ」などと言う人もいる
しかし
「この程度のこと」すらも(本当はしたいのに)せずに、地味におとなしく協力している人たちをクズと私は思わない
それ以前に それを"文句"だとか"悪口"だとかに認定してしまうと "意見"や"考え"すら述べられなくなるし
それだったら「文句を言うな」も"文句"になってしまう
とにかく
少なくとも私なら お願いされたり頼まれたりしたら それを聞き入れたい
本当は外食もバンバンしたいし
外食をしている夢を何度も見てしまうが
今は我慢している
 (夢から覚めるとなぜかお腹がいっぱいになっている)
今回の一連のこと
今は他人事の立場の人たちも最終的には自分たちの問題にもなってくるから決して他人事ではない
そう考えると 協力することはぜ~んぜん難しいことではない 自分にとっても得
そりゃあ確かに
普段できることを毎日こまめにしっかりやっていても 
誰も見ていないし 目立たないし 証拠もないし 恩恵もない
目に見える形で何かを得られるわけではない
儲かるわけでもない
悔しい気持ちになるときもある
 (似たようなことは過去の記事でも書いた)
一方 最初に書いたような"パフォーマンス"は「良いことをしている」アピールが出来る
そっちのほうがラクっちゃラク
そうしたい衝動や気持ちを全否定はできない
けれど今はそんなことを言ったりやったりしている場合じゃない

残念ながら
こんなときですら全くマナーを守らない&守ろうとしない人がいるのは困るがそれが現実だったりする
そういや こんな時期でも道でツバを吐いている人がいたな~
この時期じゃなくても個人的には軽蔑する行為
ましてやこんな時期にそういう行動をする人は 一体どんな神経をしているのだろう

もちろんその一方で
小さなことで他者にああだこうだと必要以上に指図してくる人も確かにいるしそういうのも困る
今回の自粛の件で
会社によっては社員のプレイベートを詮索してきて そこの上層部が独断と偏見でその範疇から外れた行動を取った社員を強引に処分したりするケースもあるそうだ
私も今回の話ではないにしろ「ここまで言う必要があるか?」「なぜあなたにここまで言われなければならないんだ?」「わたしは奴隷か?」と反論したくなるくらい 言われる筋合いのない事柄までクビをツッコまれ ケチをつけられたり 圧力かけられたり そんな経験があるから そのうっとうしさはよくわかる
そういう人に対しては「言ってることは正しいかもしれないがこの人の言うことはあまり聞き入れたくないな」と思ってしまったりする
世間一般の価値観に当てはめると このタイプの人間が今の時期で言う"自粛警察"なのかもしれない 

個人的に感じることとして
  マナーを守らずやりたい放題している人たち
  必要以上にバッシングしようとしている人たち
そのどちらのタイプにも共通していてイヤだなぁと思う点は2つ
  ●攻撃的な態度と言動
  ●0か100思考
私の考えとしては
  和を乱す行為もよくないし
  えらそうに押しつけるのも良くない 
どっちも攻撃的だし 
どっちも両極端な思考をしている
 このごろはそんなケースが多い印象

これは各々が気をつけるしかない
 自分はそのどちらにも当てはまらないよう気をつけるよう心がけている
 自分はマナーを守って協力しつつ
 他人をあまり裁かないようにする
 あまり完璧にやろうとするとしんどくなるから
 7~8割くらいできれば上出来と考えている
 
ちなみに
一つの意見を言っただけですべて"自粛警察"とひとくくりにされる(自粛警察認定される)のもどうかとは思う
そもそも自粛警察って 元々は個人情報を暴露したり中傷のビラを配ったりすることだったんじゃないのかな
そういうのは論外だけど
意見を言っただけでも自粛警察認定されるならば、もう何も言わないほうがマシだわ
からしたらそういう人たちを「自粛警察認定警察」と呼びたい

ただ
こういうことはほんとに言い出したらキリがない 
水掛け論・堂々巡りになってしまう
ということで
普段こういうことを考えていても公の場で余計なことを自分から言わないようにしている
新型コロナの件でこういうことを言うのはこれが始めてか それか過去の記事でやんわり一度書いたかな

先日
この件以外のことも含めて最近はブログで本音が出ちゃって論評しすぎていると少し自己嫌悪に陥ってしまった
反省と また一歩前進して 主張を控えようと考えたり
読みたい人がいるならば公開しようかなと考えたり
色々と迷ったり悩んだりしている 
そういうのも含めて 人生 楽しめればいいな

情報を見たり聞いたりして色々と考えてこんで疲れてしまうタイプの人は 
"SNS断ち"のように ネットやテレビから離れる期間を積極的に設けることをオススメする 
私も不定期にそれを取り入れている 
これからも取り入れていくつもり

政治家や市議の話に戻すと、
あの人たちに対しては、
「国民に対して自粛してくれと言いながら自分たちは大勢で会食して 
 それを指摘されるとお決まりのように逆ギレ&言い訳してるのは非常識で無責任ではないか?」と感じる。
しかし そんなのはたぶん昔から当たり前のようにあったと思う。
メディアが発達していなかった時代だから公になってなかっただけ、きっと。
もしかしたら昔はもっとひどいことでもまかり通っていたかもしれない。
もちろん、
だからといって何をしても言い訳じゃないけれど、
そんなこと言ったところでどうせ何も変わらないし解決しないし、
そんな連中に何を言っても無駄だし、
そもそも私は以前から政治家には何も期待していないから、
好きにしてくれたらいい。
本当なら、
「昔の政治家みたいに私財をなげうってでも国民のためにしてくれ!」
と言いたい気持ちはある。
今回、なぜ誰ひとりとして「自粛期間が終わるまで我々の給料を半分にしますのでみんなで一緒に耐えましょう」みたいなことを言わないのか不思議。
普段言い争ったりあら探ししている野党の連中も、
「議員の給料と数を減らそう」のような話が出たときだけ、なぜか与党と手を組んで仲良くなる。
どういうこと?
あと、犯罪をしても給料とボーナスが満額で出る職業って何なの?
これは一体どういうことだ?どうなってんだ?
さらに、そんな人たちが「先生」と呼ばれている現実…
どこが"先生"なの? どの部分が"先生"なのかさっぱりわからん!
悪さ(悪さ道)を極める=悪さをさせると右に出る者がいない…という意味での"先生"なのか? 皮肉?嫌味?
ほんとうに意味が分からない。
そして、
そういう"先生"たちに媚びる連中…
媚びられて"自分は偉い"と勘違いしている連中…
似たもの同士で団結してるんだろうなぁ…。
でもどうせ団結するなら、今は違う方面で(良い方向に)団結してほしいんだけどなぁ…。
なんだか見ているだけで吐き気がする連中だ。
もう選挙に行くのやめようかな…。
「選挙に行かない奴は義務を果たしていない非国民」と毎回のように発言する人がいるね。
それも分かるけど、
私から見れば一つの意見として、
 (こちらが立候補者の本性に気付いているか気付いていないかは別として)
非常識な立候補者に投票してしまってその人物が当選してからやりたい放題やっているのを指をくわえてみているのも無責任な気がするし、
「当選したあとは全部議員の責任で投票した人は関係ない」というのもなんか違うような気がする。
やはり投票した人にも少しは責任があるのではないか。
ならば、私はそんな人には投票したくないから、
だからもう今後は政治家に対して文句も言わない代わりに投票もするのやめようか、とも考えている。

- - -

 今回また色々と書いたところで
 もう一度このメッセージを思い出すようにする。

 大切なポイントは、
 前々回も書いたとおり、
 いくら自分の考えが正しかったとしても(その自信があったとしても)、
 他者に対して偉そうな態度や言動をとったり、自分の考えを押しつけた時点で、
 それ自体がやはり悪行為となってしまうような気がする。
 今回の記事も一つの考え方でしかない。
 この記事は私個人の考えであって、
 私の考え・意見は、あくまで私の考え・意見でしかない。
 「自分が絶対的に正しいのだ!」とは思わないようにする。
 どの考えが正しいかどうかなど分からない。
 正しかったとしても、押しつけるつもりもない。
 私は神様ではないから。
 そして、
 他人を変えることはできない。他人は変わらない。他人を変える必要なんてない。
 相手を見てイヤな気分になったならば、自分はそうしないと決意して自分を変えるしかない。自分が実践するのみ。
 最終的には、他人が何を考えようがどういう言動を取ろうがそれはその人の勝手であり自由。
 
 ただ、一つだけ確実に言えることがあるとするならば・・・
 どのような考え方にしてもどのような意見にしても、
 その時々の内容の良い悪いは置いておいて、
 「攻撃的な態度と言動」を取る人は間違っているような気がする。
 そういう人の言葉や声は、私の心には響かない。