沈黙と受容と感謝

沈黙と受容と感謝

特命和太郎のブログ

(嫌い)過剰な押しつけ・売り込み

[はじめに]
この記事は長文+若干ネガティブで、論評しています。
内容を要約すると、
タイトル通り「押しつけがましいのが嫌い」とか「右なれ右が嫌い」。
時間がない人や面倒な人はその一行だけで充分。読まなくても大丈夫です。
貴重な時間を大切になさってください。
読んでみたい方は続きをどうぞ。

※この記事は…
今年(2021年)の2,3月あたりから少しずつ書きためていたものを強引にまとめたので、
文章のつながりがおかしかったり、順序が逆になっていたり、重複している箇所があるかもしれません。
「です・ます調」と「だ・である調」が混在している可能性もあります。
書き方は"エッセイ集"っぽい感じです。
長文をまとめるのが面倒なので、今度から長文の記事はこんな感じで出します。このやり方がラク

- - - - -

人気、人望、支持とか、お金儲けなどについて. . .
具体的に説明すると何なんだろうなぁとふと思った。
フツーに考えたら、たくさんの人が集まってきたらそれは人気や人望があるってことになるし、たくさん儲けることができるならそれはすごいということだよな。
う~ん、でもどうなんだろう。
当てはまっていないケースが多々思い浮かぶのだが…。

一番分かりやすい例は政治家だな。
ただ、政治家のことについて書き出したらキリがないし、悪口ばかりになるし、ありきたりな内容になりそうだし、
あの人たちに対してはもう何も期待していないし、特に変わって欲しいとも思わないので(どうせ変わらない)、その話は今回横に置いておくとして…。

YouTubeにて2020年の終わり頃だったかな…
このコロナ禍なのにカラオケボックスで複数の人が密になって唄っているLive動画を複数回アップしていた人がいたんだけど、その動画に高評価がたくさん付いていた。

それを目の当たりにしたとき、2つの違和感を覚えた。

まずは単純に「なぜこの時期にわざわざこんなことをするの?」という違和感。
2019年より以前に撮影されたものだよな?と何度も目を疑った。
そして、
「ほとんどの人が我慢して自粛要請に協力しているのに・・・
 一部こういう人たちがいるからいつまで経っても新型コロナ流行が収束しないし、
 2020年初頭からバカ真面目に自粛要請を守っている人はバカ真面目に守り続けている。
 一部のそんな人たちがかき回して、そんな人たちのためになぜ真面目な人たちが・・・いつまで我慢し続けなければならないのか。
 いいかげんにしてほしい・・・」という脱力感。
もちろん、私は神様ではないから何が絶対的に正しいのかは分からない。
的確に良い悪いをジャッジできるほどかしこくもないし偉い存在でもない。
だからその人の悪口だってあまり言うべきではないし、低評価ボタンも押していない。
世の中にはいろんな考え方の人がいてそれで成り立っていて、いろんな考えの人がいるからおもしろくもある。
それでいいと思っている自分もいる。
だけど、強い違和感を覚えたのは事実。

もう一つの違和感。
こっちのほうが気になった。
そんなことをしているのになぜか高評価(いいね!)がたくさん付いていた点。
これってその配信者が日頃から人気や人望があるから…だよな?
もしそうだとしたらそれは素晴らしいこと・・・のはずなのだが・・・。

やっぱりなんか違和感があるんだよな。
その人自身は果たして素晴らしい人なのか?
素晴らしい人ならば、この時期にそういうことをわざわざするかな?
となると、
その人自身やその動画が素晴らしいから高評価がたくさん付いている…というよりは、
「日頃から仲の良い人だから褒めておこう」みたいな感覚で・・・
私のイメージとしては宗教団体!
 "教祖様-信者"の関係 = 媚びられる側+媚びる側 = 馴れ合い 群れている …っぽい感じ。
一人ひとりが何が正しくて何が悪いのかとかそういうことをしっかり考えていない…大事なポイントが何なのか分かっていないのではないか…。
「みんな右なれ右!」と、そんなイメージ。
(最初に書いた、動画を投稿した人からしてみれば、
 私の「自粛要請を守ろう」という考え方のほうが「右なれ右」に見えるのかもしれないけれど、
 過去の記事にも書いたようにこれは直接人の命がかかわってきていることだからね。また別の話。)

こういうのって、以前から行われているメディアの戦略にも似ているような気がする

私は個人的に、昔からのメディアの宣伝の仕方が嫌い。
『登録者数○○万人!』
『視聴回数○○万回!』
『フォロワー数○○万人!』
『○○万部突破!』
『売れてます!』
『流行っています!』
『ブームです!』
『感動します!泣けます!』
『いま話題になっています!』
『知らない人はいない!』
『あなた、遅れてますよ!』
『これをしないと損です!』

「みんなやってるからしよう!」みたいなノリのイメージ。
確かに素晴らしい作品や人物もたくさん存在しているのは分かっているけれどその一方で・・・そうでもないものがウジャウジャあるような気がする。
だから、そういう宣伝(押し売り)を見るたびにうんざりしてため息が出る。
(そもそも売れてたり人気があるなら過剰に大げさに宣伝しなくてもみんな知ってるだろう)

売る側も買う側も、お互い媚び合っているような…共依存
そしてそのうち、提供する側がどんどん大衆受け(万人受け)するような無難なもの(=内容が薄いもの)ばかり出すようになる。(例はあえて挙げないでおく)
さらに提供される側も感覚がマヒしてるからそれを良しとしている。
そういった関係。

あるとき、食わず嫌いはいけないということで「○○万部突破!」「感動します!」という売り文句の本を読んだ。

・・・その結果、まったくおもしろくもなんともなかった。
何も感じなかった。
涙は一滴も出なかった。
それどころか、泣ける箇所がどこなのかすらわからなかった。
内容もほとんど覚えていない。
時間と金の無駄だった。
以前の私だったら、
こういう発言をしたときの「おまえの感性がおかしい!」というようなツッコミがこわいため、言えなかったし、
それこそ、そのツッコミを鵜呑みにして「自分が間違っている」と思い込み、
間違いなく"世間のやり方で流されていた"と思う。
しかし、今はそうは思わない。
自分の判断が間違っているとは思わないし、
もし仮に間違っていたとしても私は私だ。
こういう考えを持っているんだから仕方ない。
もう流される気はない。
「おまえが間違っている」と感じた人はそう感じてもらってかまわない。
その人にとってそれが正しいと思うならば、それもそれでアリ。
しかし、私はもう二度とそのような売り文句の商品は買わん。

メディアのこのやり方はたとえるならば、
観光地のお土産店で、試食のときに一番おいしい物を出しておいて、あとでマズい物を送りつけるのと似ている。
そういう商法をしていたら、いっときは儲かるかも知れないけれど、結果的に信頼を失ってしまう。
だからいい加減そういう商法はやめておいたほうがいいぞ!と、私は言いたいが、
社会はあいかわらずそういうパターンの商法が多いし、それで成り立っているようだから言っても仕方ないな。
これが経済至上主義ってやつか。
やっぱりみんなラクをしたいんだろうな。そりゃすぐ目に見える形で結果が出る方が嬉しいもんね。
新型コロナウイルスの件でも、目に見える結果や数字があればみんなもっと頑張れるもんな。
それがないからみんな苦しい。せめてゴールが見えれば…。
だけどそれが世の中であり人生なんだから仕方ない。

他にも思い出したことがある。

介護の求人などの広告に、
「勤務時間は週に1回1時間から要相談」と書いてあるのもそう。
コレ本当なのか?って思って何名かの専門家に確認したところ、実際そういう短時間の採用をすることはまずないそうだ。
どういうことかというと、企業側の目的としては、
そううたっておけばたくさんの人が募集で来る。
そしたらその中に、まれにベテランや資格をたくさん持っている人がいる。
募集で来た人の中から、そういう"優秀な"人を採用する・・・・ふるいにかけるということ。
最初から「週に1回1時間」採用する気はさらさらない。
確かに「週に1回1時間から"採用する"」とは書いていない。
"要相談"だから、企業側からすれば「相談には乗りますよ、相談にはね。採用は別です。」という意味。
だから嘘ではない。
だけど、そういう紛らわしいことするって・・・
しかもそういう業者・業種は普段から「気持ちが大切」とか「思いやりの気持ちを持とう」「まごころをこめて」とか言ってるよね。
そのくせに・・・
なんだかなぁ。違和感ありあり。偽善丸出し。
そんな性格の人たちが介助される人や採用される人の気持ちをわかってんのかな?
介護事業をやっていると国からバンバン補助金が出るからそれ目当てにテキトーにやってるところも多いよ・・・って、介護関係の社長さんに聞いたことがあるから、きっとそういう遊び感覚でやってる人も多いんだろうね。

可愛いアイドルや女優に関して「1000人に一人」とか「2000年に一人」という売り文句を一時期よく見かけた。
これも大げさだよなぁ。しかもワンパターンでしつこい!
そのペースでどんどん行くと、そのうち「3日に一人」くらいになりそうだな。

最近よく見かける除菌スプレーのCMにも違和感がある。
「99%のウイルスを除去!」などと大きくうたっていながら、
下の隅の方に「すべてのウイルスに効果があるわけではありません」と書いてある。
当然、新型コロナウイルスには効果がないはずだ。
 (効果があるならそこをもっと大きくアピールするはずだから)
こういうのも嘘は言っていない。正しい広告だ。
でもわざわざこの時期に・・・新型コロナウイルスが流行しているこの時期にそういう誤解を招くような宣伝をするってどうなんだ?
そのCMをパッと見たら「新型コロナウイルスに効果がある」と単純に考えてしまう人もいる。そこを狙って・・・。
確かに嘘は付いていないけれど限りなく嘘に近いような紛らわしいずるいやり方。そこまでして儲けたいか。
しかもこういうこと↑を言うと「営業妨害だ!クソはおまえだ!悪質クレーマーめ!」と突っ込んでくるのだろうか?
新型コロナウイルスがもし人格を持っていたらこれをどう見るだろうね。
「あっはっは!俺で商売してやがる。
 そんなモノで俺を倒せるわけないだろうが。
 人間ってやっぱり金に汚いクズみたいな奴が多いな~。
 だます奴もだまされる奴もバカだな。
 ちょろいぜ、わっはっは!」と失笑するかも。

大げさな宣伝で寄ってきた人の中には本当のファンはどれくらいいるのか。
YouTubeやブログのでも、そこに通っている人たちの中に本物のファンはどれだけいるんだろう、と気になった。
ここで言う"本物のファン"の定義は、対象者の知名度・人気・地位・お金・売り上げなど関係なく、
"その対象者自身の魅力や人徳、作品自体、それらを好きで見よう聞こうとしている人たち"のこと。
実際、これまでいろんな人のブログや動画チャンネルを見てきた私の経験からすると、
その時々その時点でたくさんのファン(?)がついている人気者でも、その人の過去の作品のクリック数やコメント数は驚くほど少なかったりする。どうやらほとんどの人は新着の投稿しか閲覧していないようだ。
そのとき私は思う。
「これって本物のファンなのか?本物のファンは何人いるんだ?その時々の新しいもの・みんな見てるものに遅れないためになんとなく関わっておこう合わせておこう的な、自分も見て安心しておこう的な、それだけなんじゃないか?」と。
結局、「長いものに巻かれる」「みんながしているからする」ってことじゃないのか。 
そういうところに気付いてしまうと(その着眼点が正しいのならなおさら)、その時点で私はものすごく冷めてしまうのだ。

本物のファンならば、その対象者が"過去に"投稿した作品(動画や記事)も細かくチェックするはず…私はそう感じているし、実践している。
事実、書籍の場合でも「この人はこれまでにどんな作品を出しているんだろう?」と気になるしワクワクするから。
ただ、これはあくまで現時点の私の中の正義(ベストだと思える言動)であって、
実際にこれが良い言動なのかどうかはわからない。むしろ逆の可能性もある。
人によっては「わざわざ過去の記事(や本)を読むなんて、何が目的なんだ?あら探しか?」などと考えてしまう人もいるかもしれない。人それぞれ感じ方や正義は違うから。
100人いれば100人とも考えが違うし、正義の基準も違う。
だから私と考えの違う人からしてみれば、私の上記の言動は「嫌な行為」で、私のほうこそ"本当のファン"ではない・・・それどころかクレーマーに映っているかもしれない。
これに関しては明確な答えがないし、考え出したらキリがないからもうやめておくけど、
少なくとも現時点での私は、この記事に書いてある考えを持っている。

ちなみに、押し売りのような宣伝の動画も一応いくつか見たけれど、な~んもおもしろくなかった。
あと、動画のタイトルに適当に「おっぱい」とか「脱ぎました」とか付けて、サムネを女性のチラ見え画像にしておいたら、内容の質に関係なく視聴回数と登録数が稼げることはよく分かった。

こういう話をするとき、
ただ単に私自身が偏屈or天邪鬼or嫉妬心むき出しなだけかもしれない…ということは常に自戒するよう気をつけている。
(自分の正義を振りかざして暴走しないように)

ということで、
私は上記のような"過剰の宣伝による人気"があってみんなから良く言われている人をあまり応援しようとは思えない。
(もちろん悪く言ってやろうとかそういうことではない。)
逆に、
それほど人気のない人の場合とか、
自分の好きな人が悪く言われていて人が離れて行ったときなどのほうが、
その人を「何が何でも自分は最後まで見守りたい!この人の味方でいよう!」と思える。

私が宣伝や広告を見るときは、
発信者やメディアが"その作品の内容を伝えようとしているかどうか"を見ている。
どんな内容なのか分かれば、その結果その作品を、見るか(買うか)or見ないか(買わないか)判断できる。
だけど、上記のような過剰な売り文句や上っ面の数字ばかり出してごまかしてくるような宣伝の場合は、売れているか売れていないか(←内容うんぬん以前)の、
「世間がどう思っているか、他人がどう思っているか。」が焦点になっているから、
"それでちゃんと納得している人はそれはそれでいい"んだけど、
私の場合は自分が納得できない場合はたとえそれが流行っていようが売れていようが、そういう物とは一切関わらないようにしている。
私にとっては時間とお金と労力の無駄だろうな、と判断する。

しかし、こういう風に乗ってこない人間を「遅れている=悪い」かのような風潮。
それが本当にめんどくさかったりする。
ここで自分の"芯"を持っていないと「やっぱり自分が悪いんだ」と、流されてしまう。

ま、時間はかかったけれど、数年前からこのパターンを脱却しつつある。

ほとんどの人は違和感を覚えないのか?
違和感を覚えずに流されているような…そして流されていることにも気付いていない…私にはそのように映っている。

以前紹介した"くぼあつし"さんの影響で、私は"ひろゆき"さんの動画をチラホラ視聴するようになった。
ひろゆき氏が発言していた。
「これつまんねぇ作品だな。でも人気出るんだろうな。…と思えば人気が出て、
 逆にこれおもしろい作品だな。でも人気出ないんだろうな。…と思えば案の定人気が出ない。」とか、
「本当は大して欲しくもないはずなのにそういうものにお金と時間を使っちゃうのって馬鹿馬鹿しい。」みたいなことを…。
その言葉を聞いて、
「やっぱり大衆受けする作品がおもしろいとは限らないってことだな。」
「私みたいにそういうものを買いたくない見たくない、そう感じる人間がいてもおかしくないんだな。」
 (もちろん本当に自分もそれを好きになったら買うだろうし見る)
「他にも同じようなことを考えている人がいるんだなぁ。」
 (それまで「ひろゆき」という人物の人となりはイマイチよく知らなかった)
・・・などと、勇気づけられた。

そういえば一時期、いい歳をした大人が実家にある自分の部屋に住んでいることを「子供部屋おじさん」と呼ぶ風潮みたいなのがあったけれど、あれなんて完全に煽ってるよな~って。
そりゃあ経済っちゅーもんは、外に出てガンガン働いてバンバン稼いでドンドンお金を使って回していくもんだから、
引きこもっている人やお金を使わない人は「悪」なわけで、これでもか!と煽らないとダメなんだろうなぁ。
だけど、私みたいに冷めた目で見る人間からすれば、
「あ~、またやってるのか。バカの一つ覚えだな。しょーもな。煽ったり踊らされたり、このパターンばっかだな。」って感じで傍観している。

お金のことだけいうと、実際のところは、実家の部屋に住んだ方が家賃も浮くし、光熱費も抑えられて、それがエコにもつながって地球にもやさしくて良いことずくめのはずなんだけど、
経済至上主義の人はそういうのが一番困るから何がなんでも反対して、汚い言葉を使ってでも煽って、一人暮らしさせる=家賃を払う(お金を使う)方向に持って行ったり、「これを持っていないと遅れますよ」「これを持っていないとモテませんよ」と煽ってお金を使わせようとする。
個人的には、そういうのを見ると逆にお金を使いたくなくなる。
そういうことをして"モテる"としても、私にはそういう"モテる"は必要ない。そういうことでモテたくはない。
しかもそれって実際は自分がモテてるんじゃなくて、そのアイテムやお金に人が寄ってきているだけ。
ウンコにたかるハエのようなもん。

ひろゆき氏の「ベーシックインカムが導入されるまではそのつなぎとして生活保護を受けて生きるのもアリ」みたいな発言に少し共感してしまった。

前の私だったらその発言↑に「とんでもない!」と言っていたと思う。
今の私とは正反対の意見。
でも長年いろいろと目の当たりにしてきて考え方が少しずつ変わってきた。
このごろ「…もしかしたらこっちの考えのほうが楽しいし、あながち間違ってないかもな。」ということに気付いてしまった。
そしたら、ただでさえ欲しい物がない上にお金を使わないから、ますますお金がたまっていく。
つまらないことにフォーカスしないから時間もめっちゃ浮いてラッキー!
私みたいな考えの人は、もっと自分のやっていることを「間違っていなかった」と、自信を持って良いと思う。
あとは自分のその考えをいかに揺さぶられずにどれだけ持ち続けられるか、だな。

最初の動画の話やメディアの売り込みの話に戻すと、
私だったらそんなことをしてまで人気や人望を得たいとか支持されたいとか儲けたいとかは全く思わない。
必死にアンテナを張って流行に乗り遅れないようにしたいとも思わない。
「腕時計だけは良いのを付けたほうがいい」とか「靴だけは良いのを履いたほうがいい」と言われても、
そりゃそうしたくなったらするけれど、したくないならしない。
そして今現在では、そういう物を欲しいと全く思わないし、むしろ冷めてしまうからしない。
長いものに巻かれたくない。
その"ワ"に入りたいと思わない。
もしかしたらただ単にその"ワ"に入れないだけの遅れた人間なのかもしれないけれど、それも含めて自分はそれでいいと考えている。

だけど人間って弱い生き物だから、しばらくすると…
やっぱりこういう偏屈なのは良くないかな?
社会や他者に嫉妬しているのかな?
乗り遅れたくない自分がいるのかな?
時代遅れは悪いことなのかな?
・・・などと、心が揺れ動くときがあるだろう。
ただ、そういう思考も完全になくしてしまったらそれはそれで怖いような気がするから、
アクセルとブレーキの関係のように、両方の考えを持っておくのもいいなってね。

あ、そうそう。

ひろゆき氏の名言で、

「肉屋を応援する豚」

 …ってのが個人的にお気に入り。

 ○幸せになることが目的だったはずなのに結果的に苦しみながら働いている人
 ○他人の価値観(成功や勝ち組など)を軸に頑張り続けてしまう人

  ・・・などのこと。 (私の解釈)

 「いつか自分が殺されてしまう状況の豚が
    肉屋の売り上げや生活を心配していて
         その自分が最後に犠牲になる」

 これって、
  無職で収入のない人が、
   年収何千万円以上稼いでるアイドルなどに、
    「応援しています、頑張ってください。」と言って大金をつぎ込むのと同じことかな?

 過去の記事にも書いたように、
 「応援よろしくお願いします」って言う側と、
 「応援しています」って言う側の、
  立ち位置が逆のような気がするんだ。
 
 私は「応援してくれ」とか「応援してます」といった言葉はほとんど使わない。
 あまり使いたくない。
 無意識で使ってしまっている場合は別として、意識して使わないようにしている。
 押しつけがましいような感じがして好きではないから。
 応援しなくても頑張る人は頑張るだろうし、
 応援されたくない気分の人に「応援してます」は重たく感じるだろうし。 

・・・以上。
読み返してみて…
これは"現時点での私の中のベストな考え方・捉え方"であり、
私が変わり者でこういうのは少数意見なんだろうなぁと自覚するようにはしている。
反対意見の人のほうがたぶん多いだろう。
それに、私のようなタイプは資本主義の経済を回すためにはデメリットだと思うので、こういう人間の割合は少数でいいかな?とも思っている。

ちなみに、
今回のこの記事の文章を読んで「こういう考え方は好きだなぁ」と思った人は、
 小林正観
 小池龍之介
 桜井章一
 天外伺朗(土井利忠)
 ひろゆき
 野口嘉則
  ↑ このあたりの人の本を読むとそういうたぐいのことが詳しく書いてあるからオススメする。