沈黙と受容と感謝

好きな作品と人物について書く

無敵の思考 (5)

無敵の思考』(大和書房)[著]ひろゆき

この本を読んで感想などを少しずつ書いていく備忘録シリーズ!

P.7~

>「自分の時間」から逆算する

 たとえば、
 自分が幸せを感じるための時間として、1日に「3時間」必要だとする。
 ということは、
 その「3時間」(時間)を確保するために、必要最低限の食べるためのお金を稼がなければならない。
 さらに、
 その「3時間」(趣味)にお金がかかる場合は、その分のお金を稼がなければならない。
 そして、
 多くの人は自然と「生活レベルを上げたい」と考えるからどんどん必要なお金が増えてくる。
 結果、
 仕事が忙しくなってきて「忙しい」「時間がない」となり、
 自由な時間や趣味の時間を削り始めて、楽しみがなくなっていく。
 元々、幸せになるのが目的・目標だったはずなのに、なぜか苦しくなっている。

・・・とまぁ、自分なりにまとめてみたら上記のようになった。

これって、YouTubeSNS/ブログなど(に対する取り組み方/考え方)に似ているかもしれない。
元々楽しむためにやり始めたのに、
知らず知らずの間に「アクセス数はどうだ?」「内容を良くしないと!」などと、
なんだか頑張ってしまう人がいる。自分がそのタイプの一人。
もちろん、それも含めて楽しめているのならいいんだけど、
ぶっちゃけると、たまにぜ~んぜん楽しめていない自分がいる。
義務みたいな感じで記事を投稿しているときがある。
会心の内容を投稿しても、期待した反応もないし、うんともすんとも言われないときだって多々ある。
(いま読み返して思ったのは過去の似たような記事は同じ時期に書いていたんだろうな)
で、なんのために自分はブログをやっているのか分からなくなるときがある。
別にアクセス数や内容なんてはじめは本当に何もこだわってなかったのに(冷静に考えると今だって特にこだわる理由がないのに)なんでだろうな。
それに、自分が望むような結果が出たとしたら今度はそれ(ものすごいアクセス数)が基準(=最低ライン)になってしまい、「もっと○○しなければならない!」と考えてストレスになってしまう。
この流れは、何かあるたびに一喜一憂する思考回路になってしまっている…ということに気付く。
これって人間の性質として仕方ないのかもしれないけどね。
だって、どうしても「数字」とか「形」とか、目に見えるもので安心したくなっちゃうから、人間って。
これこそ、ひろゆきさんが言ってる"落とし穴"にハマっちゃってる状態かも…。
ま、そこに気づけている人はまだ大丈夫かもしれない。
「えない幸せ」も「える幸せ」も、どちらも同じ「幸せ」なんだったら、
「えない幸せ」なら今この瞬間すぐ「幸せ」になれるもんな。

吾唯知足』(われ ただ たるを しる)

簡単なことなのにね。
というか、言うのは簡単だけど、その考え方を日常生活に取り入れて実践するのが難しいんだなこれが。
人はなかなか変われないから、結局いつまでもダラダラと同じ繰り返しを…。
ただ、何度も言うように、そこに気付けているということは大きな収穫で、
"苦しみから脱するためのスタートライン"には既に立つことができているというわけだから、
それに気付かされた自分はラッキーだと思っている。

ってことで、私みたいなタイプの人間は、
ブログやらSNSやらをやっているなら、それら全部バーっとやめられたらきっとラクになるだろう。
そう考えると、ブログをやり始めて1年経たずにやめた人は「負け」だとか「逃げ」ではなく、
むしろ早々と切り上げるという選択をしたという点では、そこは逆にすごいなぁと(嫌味ではなく)本気でそう感じる。
だから「負け」とか「逃げ」ではなく、執着からの「卒業」かもしれない。

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吾唯足知

この画像↑を作り終えてから思ったこと。
 「こういう画像、前にも作ったような気がする…」

どの記事を…既に公開したか、あるいは公開していないか。
どの記事を…下書きしたか、あるいは下書きしていないか。
どの記事を…妄想の段階で止まっているか、あるいはどこかに書いたか。

記事数や下書き数が多すぎて、もう何が何やらわけがわからなくなってきている…。
管理しきれていない。
こんなことでいいのか?