自分の経験

起きた現象や書籍内容を考察して適当に書く

『人は八割方悪である』 (1)

タイトル:『人は八割方悪である』
著者  :桜井章一
出版社 :竹書房
発行年 :2010年

<この本を読んだ感想と意見> (1)

著者は序盤からまず、

「自然」にしろ「愛」にしろ、それらの本質(根本)自体は変わらずとも、常に変化し続けているし、時や場所によっても変化する…
 といった感じのことを書いている。

諸行無常」(万物はいつも流転していて変化・消滅がたえないこと)。

ただ、
本質自体がコロコロ変わってしまうもの(もしくは本質自体を持たないもの)には違和感を抱くとのこと。

特に、

人間の欲望や利得目当ての行為に当てはまるもの 
 = みんなが夢中で追いかける流行・経済活動

それらに本質などなく、「愛」とはかけ離れてしまっている、と。

 

流行りものを仕掛ける人間、それを煽るメディア、踊らされている連中. . . 

物を売りまくってある程度儲けたら、すぐ次の流行を引っ張ってくる。

ひとつの物を大切に使おうと心がけていてもすぐ壊れる。

修理に出そうとしたらもう部品がなかったり、既に修理を受け付けていなかったり、新品を買ったほうが安く済むと言われたり。

政府にしろメディアにしろ、普段から「エコ」を前面に出してええ格好してるくせに、その反面たくさんの物を消費させてゴミを増やし、自然を破壊するような矛盾したことをやっている。

著者も、「何十年も使える製品を作る技術はあるのに、何年か経ったらどこかにガタが出るように作っているのではないか。」といったことを言っているが、
これは本当にそうじゃないのかな、と私自身もずっと前から思っていた。

ソニータイマー(英語:Sony timer, Sony kill switch)”という言葉があって、
ソニー製品は1年間のメーカー保証期間終了直後に故障が頻発する」と噂されていた時期があった。

決して悪口を言うつもりはないが、事実として私がこれまで購入して使ったソニー製品がいくつかそれに当てはまっていたから、はじめてその言葉を聞いたときは「他にも同じこと感じた人がいるんだ…」と、少しうれしくなった。
もちろん私が乱雑に使っているということではなく、
ちゃんと大切に使っているとめちゃくちゃ長持ちしてくれる家電や物だってたくさんある。
だから、すぐ壊れる物というのは、メーカー側がそういう風にわざと作ってるんじゃないかと疑いたくなる気持ちはすごくよくわかるし実感している。

話を戻そう。

自分は物を大切に使っていても、あまりにも短いサイクルで新しい商品を買わされる(どんどん新しい商品を出してくる)し、それを買わないと「遅れている」とバカにされたりするのはなんだか違うような気がする。

そういえば以前にネット上でも色々あったなぁ。

「まだブラウン管テレビしか持ってない」とか「車は持っていない」と言うと、
『乗り遅れててかっこ悪い』だの『まだ持ってないのか おかしいんじゃねぇの』だの。
他にも、
『腕時計だけは良いのを付けよう』だの『靴だけは良い物を履こう』だの。

・・・誰が決めたの?何の根拠があるの?

「身だしなみを整えて清潔にしましょう」なら分かる。
だから「靴は綺麗にしましょう」とか「服装は汚れてないようにしましょう」なら分かる。

しかし、なぜ個人が使う(使いたい)”物”まで強制されなきゃいけないのか。
からしてみれば、そういう情報を流行らせて偉そうにしたり、そういう情報に踊らされてる(しかもそれに気づきもしない)連中のほうがよほどかっこ悪いと思う。
だから著者の言いたいことはよくわかる。同じ意見だ。

まだまだある。

一時期『子供部屋おじさん』という言葉を流行らせたりそれで煽ったりした連中がいたし、
『自分の部屋に子供のころの勉強机を置いてる奴はどうたらこうたら』言ってた連中もいたな。
おそらく、それは(私の勝手な憶測では)独り立ちさせてお金を使わせて経済を回そうということだろう。
見方によっては理解できる部分もあるが、
最初にそれを発言した者が、自身の人生に直接関係ない&さほど影響もない生活を送っている赤の他人のことや、
それほど特に大きな問題もなさそうなことに対して、
イチイチ突っ込んでくるって・・・ヒマなのか?(笑
そういう連中を見ると、
私が偏屈なだけかもしれないが、わざと逆のことをやってやりたくなる。
自分の部屋に、勉強机を置きたくなってくるよ。

もちろん、社会のルールや常識は守らなきゃいけないから、
『社会のルールを守ろう』と言われたときに「逆のことをやってやろう」とは思わない。
それは違う。

私が言いたいのは、ルール内のことであってなおかつそんなに問題のない分野のことまでとやかく言われる筋合いはないということ。
そういうことは聞き入れたくない。

ということで私は、
「子供部屋」に住み、
「勉強机」と「ブラウン管テレビ」を部屋に置き続け(邪魔になれば捨てるが)、
「腕時計」と「車」は所有せず、
「靴」は清潔に保つことは大切にしつつも”良いもの”とやらを買わない。

・・・という生活に憧れる。
そんなあまのじゃくな自分でイイと考えている。

私はわけのわからないことを流行らせたり、それを煽ったり、それに踊らされて自分のやってることに気づかないような人間にはなりたくない。

あと、『こんなことも知らないのか』とバカにする人がいるが、
人間は自分自身のことはわからないのであって、
その人もその人自身が何もわかっていない点が多々あるはず。
人を突っ込んでるとブーメランで自分も突っ込まれるからやめたほうがいいと思うけどなぁ…。

と、あまり言い過ぎるとそれも突っ込んでいることになるから、
私は普段から日常生活上でもネット上でも論評することは(自覚している範囲で)極力しないよう気をつけている。
そしてそれは、現時点ではそこそこ実践できていると考えている。
証拠として、このブログをはじめ、X(旧ツイッター)にしろ、ここ数年ほとんど発信していない時期があった(発信するとしても論評系の発信はなし)。
言いたいことや思ったことがあっても、安易に発信はしない。
当然、裏アカウントだの捨てアカウントだの作って自分の素性を隠して(別人になりすまして)裏でこそこそ悪口を言ったり論評したりするようなことはしていない。
 (そういうことをしている人がどうやらいるようだが、人として終わっている…)

現時点で私は、このブログとX(旧ツイッター)とYOUTUBEなど、現在公開しているものしか利用していない。
そして言葉も選んでいる(つもりだ)。

まぁそれだけ気をつけてても「え?」と驚くようなイチャモンを付けてくる人はいて、
「世の中、本当にいろんな人がいるんだな…。」と驚かされる日々だが、それはもうその人がそういう趣味なんだろうからイチイチ言ってても仕方ないし、
自分は「世の中にはいろんな人がいるが、こんな人がいるとは思わなかった。勉強になるなぁ。」と、新しいことを学ぶことができて良かったと考えるようにしている。