沈黙と受容と感謝

沈黙と受容と感謝

特命和太郎のブログ

奈良岡希実子さん (25)

[はじめに]

このシリーズは…

※1
 内容のほぼすべてが奈良岡希実子さんのことなので、
 関係者以外の方や時間のない方は読まなくても大丈夫です。
 時間を大切になさってください。
 読んでみたい方はご自由にどうぞ。

※2
 2020年の半ばあたりからその時々少しずつ書きためていた文章を、
 今の気分で適当に抜粋して公開しています。
  誤字脱字
  つながりのない箇所
  重複している箇所
  順番が逆になっている箇所
  読みにくい箇所
 …などなど入り交じっているかもしれません。
 「です・ます調」と「だ・である調」が混在していたりもします。
 書き方はエッセイみたいな感じ。

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希実子さん、先日(2021年6月24日)ひさしぶりに「ミヤネ屋」に登場!
ミヤネ屋スタッフなどなかなか会えなかった人にも久しぶりに会えて、
ソーシャルディスタンスのためにしなかったけど抱きつきたいくらい嬉しかったんだって。
大好きな人と会えることが幸せ・・・かぁ。
…はぁ。
俺にも抱きついてほしいなぁ。

ん?
好きじゃないからムリって?

俺はナラキミのこと好きだから、じゃあ俺のほうから抱きつこうか? 

ん? 
奈良岡さん、急にスマホ取り出してどうしたんだ?
 
ん?
何かボタンを押してるね…

・・・・・1・・・・・1・・・・・0・・・・・!?

 『待てぇ~い!』ε=ε=ε=┏( ・_・)┛   ε=ε=ε=┏(゚ロ゚;)┛『逃げろぉー!』

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ニャラキミがブログにて、
「本が好きだから哲学書も読もうと思ったけれど、小難しいことを考え出してしまいそうなのでやめた。」みたいなことを書かれてた。
でもキミコさんのように偏差値70オーバーの人だったら、哲学書といえど数回読めばすぐ理解できそうな気がする。

私は何年も前に、純粋理性批判の完全解読書を買って読んだけれど、最初の1/20くらいの時点でずーっと止まったまま。
「これ、本当に"完全解読"なのか?」と疑問を持ち、Amazonのレビューを調べたら、
「完全に解読されていない」「著者は理解できていない」「説明が分かりづらい」という意見があった。
「私だけじゃなかったんだな」と、少しホッとした。
もちろん「分かりやすい」という書き込みもあったし、私もそう感じた部分はあった。
ただ、難解だったのは事実。

本にしろ説明書にしろ、書いている人は「自分は理解している」立場で書く。
できれば、「理解できていない人」の立場を想像しながら書いてみてほしい。
たとえばだけど、いきなり専門用語や難解な言葉が出てくる場合がそう。
書いてる人はわかってて書いてるから「理解できて当然だろう」前提で書いているけれど、
読んでいる人の中にはそれすらわかっていない人もいる。
だからそのとき
「おいおい、まずその言葉の意味がわからないから、その言葉の意味から書いてくれよ!」とツッコミたくなる。

昔、ケータイの使い方がわからなくて説明書を読んだとき、
何もわからないから説明書を見ているのに「メニューを押してください」って…
「だからそのメニューがどこにあるからわかんねぇよ!」って言いたくなった。
「メニュー」って書いてあるボタンはなかったからね。場所がわからんのよ。
「バカか?」と言われるかもしれないけれど、それに対する返答はただひとつ。

「はい、バカなんです。」

だって、理解できていない状態=「バカ」だから説明書を読んでるんだよ?
「バカか?」という返しをもしされてしまうならば、
私から言うとその返しこそあまりにも"バカ"すぎるんだよね。
要するに「バカと言う奴がバカ」状態になっていることに気付いてほしい。
理解できない奴がバカ、というよりも、説明下手な奴がバカ、って感じ。

 ※世の中にはめちゃくちゃ分かりやすい説明書もあります。
  ポジティブなことも書いておかなきゃね。

で、
哲学書って理解するのに大きな壁がいくつもあると思う。

 1,まず哲学自体が難しい
 2,その哲学を生み出した人自身がその哲学をどれだけアタマで理解できているか
 3,その哲学者がアタマの中で理解したその哲学をどれだけうまく言葉として表現できるか
 4,その哲学者が外国人だとしたらその外国語の哲学書の内容を日本人の訳者がどれくらい理解できるか
 5,その訳者が理解した哲学の内容をどれだけうまく日本語として表現(翻訳)できるか
 6,その日本語版の哲学書を読者がどれくらい理解できるか

思いついただけでもこれだけ壁があるんだから、どこかで壁にぶつかって内容がごちゃごちゃになりそう。

カントの純粋理性批判に関していえば、
私は、
感性・悟性・理性って、
ブッダが言う「無」のように、
「ここにあるわけでもないけれどないわけでもない」に似ているなぁ~と理解した。
この解釈で合ってるのかどうかは分からない。
とりあえずそんな感じで私は捉えた。
現時点ではそれで満足している。

キミコさんにはぜひ哲学書を読んでもらいたい。
そしてわかりやすく教えてほしい。
いや、哲学書ではなくてもいい。
津軽弁講座」という本を出して欲しい。
ソレを読んで、あたすも津軽弁を理解したいだぎゃー。(津軽弁のつもり)

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ちょっと気になったこと。
このブログ内の奈良岡さん関連の記事が検索サイトでどれだけヒットするか…
試しにGoogleで検索してみた結果、
どれだけやってみても「奈良岡希実子 (2)」「奈良岡希実子 (3)」しかヒットしなかった。
もっと長文の記事をドカーン!と公開したほうがいいのか?
そのほうが検索サイトに引っかかってくるのか?
実は・・・
こうやって小出しにしている記事…
本来は6月21日・奈良岡さんの誕生日に全部ひとまとめにして公開する予定だったのだ。
ではなぜそうしなかったかって?
…あまりにも長文だったからだ。
万が一いつかご本人がそれを目の当たりにするときが来たとして、
「…えっ、やだ…なにこれ…。すごく長い。超キモいんだけど…イヤー!!」
みたいになって引いてしまう可能性がある。
もしかしたら私のことを「オバケより気持ち悪い存在」として捉えてしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。
だからあえて小出しにしたんだ。
…それが良くなかったのか?
まとめて出したほうがよかったのかな…。
でもなぁ、
あの記事、文字の総数が3万字を超えてたからな・・・。
いきなりアレを出されたらやっぱり引かれるだろ(苦笑
物事には順序というものがあるからな。
急がば回れ…だ。
ま、どっちにしても終わったことをとやかく言っても何も始まらない。
だからこれでいい。
このペースでこれからも公開していく予定だ。
ちなみに俺は、ご本人のツイッターやらブログやらインスタグラムやらには一切なにも書き込んでいない。
俺の汚れたオーラを希実子さんに触れさせたくないからだ。
オレは人を幸福になどできん。不幸にしかできないんだ。 by ヒュンケル

ん?ちょっと待てよ。
すごく気になってきた。
3万字を超える長文を一気に投稿するのも確かに気持ち悪がられるかもしれない。
でもその一方、小出しに20コも30コも新規投稿するのもそれに勝るとも劣らない・・・!?

あーやめやめ。
こんなこと考え出したら終わらない。
終わらないファンタジーが始まってしまう。(90年代のアニメか!)
なるようになる、なるようにしかならん。
もしご本人が嫌だとおっしゃるのなら、
そのときに「あ、そうでしたか。これまで気付かずにごめんなさい。」
と言って謝って、投稿するのをやめれば済むだけの話だ。
考えすぎはやめよう。
そういうのを『杞憂』と言う。